壊れている心を使って、心そのものを直すことはできない。


Photo by taka (7D)

とても寒い夜である。
北日本からは大雪のしらせが。

気持ちだけでも春のように、と
たんぽぽの綿毛をのせてみました 笑

なんとなく心が落ち着かない感じである。
ざわざわしてる、というわけでもないが
なんだか、重たくて軽やかになれない感じ。

年に何回か、こんな感じになる。

原因も理由もわからないので
今のところ、対処のしようもなく
ただやり過ごすしかない。

やる気とか気力とか
そういうのは、ほとんどなくなってしまい
なぜか食欲がとまらなくなる。

一種の精神病だろうか。
こころのやまい。

季節や天気のせいもあるかもしれない。

最近、少しづつ読んでいる本。

わかりやすい言葉で書かれているので
読みやすい本だと思うのだが
なかなか、一気に読めない。

フランク・キンズローさんという人が書いた本である。
(翻訳は非二元の本を数多く翻訳されている古閑 博丈さん)

「ユーフィーリング! –
内なるやすらぎと外なる豊かさを創造する技法」

まだまだ前半であるが
最初から、こんな言葉が出て来て
おおお、うまいこというな、と思った。

「壊れている心を使って、心そのものを直すことはできない。」

なんのことやら、と思う方も
おお、確かにそうだ!と思う方も
どちらもいらっしゃると思う。

ぼくらは、自分の心が不調になったとき
自分の中にある傷付いたり壊れたりしている心を使って
自己修復するみたいに、直そうとする。

そうすることが、当たり前だと思いながら
壊れた心を壊れた心でなだめながら
どうにか軌道修正している(したつもりになってる)

そうすることが
大人になった人間の当然の行為のように思いながら。

だが、なぜ、心が壊れているのに
その壊れた心で心を直そうとするのだろう。

それは、ぼくらの本体は心であり
心以外のものは、何もないと思ってるからだ。

ところがキンズローさんはこういうのである。
「心の外に出て、心から解放されるとよい。」

心の外に出られるなんて
そんなこと出来るの?と思うかもしれない。

しかし、普段、瞑想をしている方なら
心から出て心から解放されるというを
体験として知っているかもしれない。

ぼくも、なんとなくわかる。
心の外に出ることは、
まあ、一言でいえば、とても簡単だ。

まだ読み始めなので、もっと読み進めてみて
おおお!と思うことが、またあれば
こちらで報告しようと思っている。

ユーフィーリング! ―内なるやすらぎと外なる豊かさを創造する技法
ユーフィーリング! ―内なるやすらぎと外なる豊かさを創造する技法

ところで、心の外に出られるということは
心は、ぼくらそのものではない、ということの証明にならないだろうか。

ぼくらは心で、からだは乗り物、と思ってた方にとっては
ちょっとびっくりかもしれない。

心も身体もぼくらではないのである。


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