幸せであるために、幸せである必要はない

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Photo by taka (7D)

自分が幸せな状態にないことを恥じて隠す人がいる。めいっぱい幸せの振りをして取り繕う。同様に、他人が、幸せな状態にないことを(上から目線で)同情する。その人にとって、まるで、幸せであることが、ひとつのステータスであるかのようだ。だが、人生は、必ずしも幸せでなければならない、というものではない。幸せであることは、(極端な言い方をすれば)人生にとってどうでもいいことだ、とぼくは思う。

幸せでないことを人に知られるのが怖いだろうか。生きて行く上で、持ち合わせていなければならないアイテムを自分だけが持っていないような気持ちになり、不安になるのだろうか。しかし、ちょっと考えればわかることだけど、幸せなどというアイテムは存在しない。幸せはモノではなく、状態である。状態は、所有出来ない。

幸せを感じていないのに、無理に幸せだと思うのは、不健康だ。

幸せは、状態であるから、実は、誰もが、どんな状況でも幸せを感じることが出来る。だが、心の底から幸せと感じられない人が、わかったような顔をして、幸せの振りをするのは、心にも身体にもよくない。もちろん、ぼくらの内面である、魂にもよくない。

スピリチュアル的な思想が拡がるにつれて、幸せな気持ちや感謝することの大切さが、より強調されるようになったように思う。

いつも幸せな気持ちでいましょう。
どんなことにも感謝しましょう。

だが、心底、思えない状態で、自分に言い聞かせるように、数学や物理化学の公式を暗記するかのように、無理に、幸せを感じようとしたり、感謝の気持ちを作りだしたりするのは、スピリチュアルではない、とぼくは思う。

辛くてしんどいのに、幸せの振りをしなくていいのだ。
在り難さを感じないのに、感謝しなくていいのだ。

ぼくは、今、こうして普通に呼吸できることは、幸せなことだなあと思う。ああ、良かった、呼吸できる、身体に沁み渡るようだ、と思う。身体中で息を吸い、身体中で息を吐く。心の底から、なんて気持ちがいいんだろうと思う。

でも、そう思えるようになったのは、スピリチュアルな気付きを得た後のことである。それ以前に、呼吸することは幸せなことである、と思ったことはないし、たとえ誰かにそう言われたとしても、意味がわからなかったと思う。それでも、なんとか幸せなことだ、と理解しようとすることは出来るかもしれないが、幸せというものが状態であるからには、頭でいくら理解しても、本当の幸せを感じることは出来ない。

感謝についても同様だ。また、呼吸を例にしよう。呼吸出来るのは、大自然(宇宙も含む)の循環があるおかげである。しかも、タダだ。ガスや水道や電気のように、どこかと契約する必要はないし、毎月銀行口座から、引き落としされるわけでもない。呼吸し放題。

でも、普段、ぼくらは呼吸に感謝したりしない。感謝しろ、と言われてもピンと来ない。たぶん、呼吸と向き合うようになってしばらくして、本当の意味で、呼吸に感謝出来るようになるのだと思う。

究極なところ、自分に起こるすべての事柄は、自分のために起こっている。起こったことは、まっすぐに受けとめれば、必ず魂の成長になるのだから、呼吸に限らず、どんなことでも、感謝に値することなのだ。

けれど、ぼくたちは、ぼくたちが心地好く感じることには感謝するけれど、それ以外のことに感謝することは、通常ない。実際のところ、不幸に思えることの方が魂の成長のためになったりするのだから、より感謝すべきなのだが、ほとんどの人はそうは思わない。(もちろん、今の時点では、ぼくだって、不幸なことは出来るだけ起こってほしくない(笑))

例えば、病気をしたとき、病気に感謝出来るか、といえば、まずは微妙なところだろう。でも、病気も、自分のために起こる体験のひとつである。病気したおかげで得るものは、健康のときには得られないものも多い。そこに気付くかどうかだけれど、気付いていないのに、そこに感謝しろと言われても、難しいのである。

ぼくらは、生きて行く上で、幸せである必要はないし、何かに感謝し続ける必要もない。もちろん、幸せな人が勝ち組で、不幸な人が負け組である、みたいな感覚は、ただの幻想である。(どうでもいいことだけど、ぼくは勝ち組負け組と言う言葉が滑稽で好きではないが、幻想であることを強調するために、もっとも適しているという点で使った。)

幸せだ、と感じたとき、幸せの状態を堪能すればいいし、在り難いなあ、と心底思えたら、感謝すればいい。

大切なことは、自分が、今、どのように感じているのか、ちゃんと自分で把握することだと思う。
ありのままの自分の状態を、フィルターを通さずにストレートにキャッチ出来ればいいのである。

幸せな気持ちでいる。
不幸な気持ちでいる。
楽しい気持ちでいる。
悲しい気持ちでいる。
寂しい気持ちでいる。

その他いろいろ

どんな気持ちでいるのか、いつも掴んでいることが出来るといい。
更に言えば、それぞれの気持ちの状態を思い切り楽しめたら最高である。

自分が悲しい気持ちでいることをストレートに認めて、悲しい気持ちを堪能する。悲劇の主人公になれ、と言っているわけではないが、悲しさの持つ複雑なカタチをじっくりと見つめて、味わいながら、自分のものにすることは、とてもよいことである。

そして、それが、魂にとっては、もっとも幸せな状態ではないか、と感じる。
また、ぼくらが、そのような様々な状態を感じられることに、ぼくは感謝をしたい。


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