秋の気配と夏の想い出

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Photo by taka (31MR)

昨日、仕事帰りに空を見上げたら、ちょっとした異変に気付いて、思わず撮影した。空が高くなったような気がしたのだ。でも、こうして写真で観ると、あまりよくわからないかも ^_^; そして、構図も何もあったもんじゃないけど、とりあえず、昨日の空の記録として、ここに載せておこう。

ぼくの故郷の岩手では、お盆を過ぎると途端に涼しい日が増えてきて、どんどん空が高くなり、9月に入るとすっかり秋っぽくなったように思う。(今は違うかもしれないけれど)そして、夏と秋の境目がぼくにははっきりとわかった。それは年によって、境目が一本太く引かれていたり、何本かの線で引かれていたりの違いはあるにせよ、季節の変わり目をしっかりと感じていた気がする。

東京は、秋の到来が読めない。10月になるまで暑い日が続いたりして、いつまでも夏が続くような錯覚に陥る。どこに境目の線が引かれているのかもわからない。気が付くと秋になっている感じだ。

けれど、昨日は、(ああ、今年も秋が来るんだな。)というような感覚になった。もちろん、これは、ただの錯覚かもしれない(笑)だから、明確な境目として感じられたわけではない。実際には今日も暑かった。きっと明日も明後日も暑いだろう。涼しくなるのは、まだまだ先のことだよね。

そう言えば、毎年、夏の季節になると、泳ぐために海に通った。海に通いながら、永遠に夏が続けばいいと思っていた。浜辺や海で夏の太陽に焼かれているとき、至福だった。青い空、青い海、白い入道雲、焼けつく砂浜、空気の熱さと海水の冷たさ、潮の香り、ひりひりとした肌、海の家のラーメンやピザパン、ビールにコーラ、安いスピーカーから流れる音楽。浜辺には水着の女の子たち、それからもちろん、男どもも(笑)。あの空間の何もかもが好きだった。若かったからなあ。

最後にそんな時間を過ごしたのは、いつだっただろう。しばらくご無沙汰している気がする。少しずつ遠ざかっていたのは確かだけど、原発事故と大津波でとどめをさされた感じがする。例えば、帰省したとき、もっとも手ごろな海水浴場だった高田松原は、もう「奇跡の一本松」を残して何もなくなってしまったし、自宅から通っていた九十九里浜は、放射能汚染が気になって気持ちが萎えてしまった。もう少ししたら、行きたいなとは思っているのだけれど。

もっとも、今は、あの頃のようなにぎやかなものを望んでいるわけではない。今のぼくには、刺激が強すぎると思う。音にも匂いにも敏感になっているから、どちらかと言えば、少し閑散とした、静かにさざ波を聴きながら、ゆっくりと目を閉じていられるような、そんな海がいいかもしれない。となると、夏の海よりも、秋の海かな。

ところで、秋の砂浜って寂しいと思っていた。けれど、それはきっと、夏の賑やかさを経験しているから。幻のように歓声が聞こえてくるような気がするから。だから、夏の賑やかさを知らないでいたら、秋の砂浜は、きっと心地好いに違いない。今はどう感じるだろう。それも確かめて来なければ。


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