世界は共有出来ない仕様である

photo by taka (ip11)

自分が経験している世界は、他人とは決して共有出来ない、ということを理解している人は、案外少ないと思う。もちろん、スピリチュアルな話をしているわけではなく、現実的で科学でも説明出来る話だ。

例えば、同じ時間に同じ場所で同じ景色をみてもいたとしても、その景色は個々の脳の解釈で認識が行われている。あなたには素晴らしい景色に見えても、隣にいる人には目を覆いたくなるような気持ちになっているかもしれない。

脳の解釈は個々の人間の経験の総和であるから、それぞれが違って見えて当然である。

自分が経験している世界は、ツイッターのタイムラインと似ている。ツイッターのタイムラインは、原則として自分でフォローしたアカウントの人のツイートだけが並ぶ。フォローするときの判断は認識のフィルターに似ている。

これらのことを意識出来ない人は、世界中のすべての人が、同じ世界で同じように考えて生活していると思って生きている。しかし見えている世界はまったく異なるものなのだ。

ここからは、スピリチュアルでぼくの解釈的な話。

その人が発している波動、というものがある。粗い波動もあれば精妙な波動もある。波動同士で共振出来るとき、相変わらず個々が経験する世界は異なるけれど、同じ響きで感じることが出来る。更に、霊界にいけば同じ世界を共有することも可能だ。

しかし波動が異なる同士は、不協和音の如く居心地が悪いものになる。霊界でも同じ場所には存在出来ない。決して出会うことのない別な場所に存在することになる。また、この世においての経験中、不協和音が発生しているとき、精妙な波動の方がダメージを受けやすい。霊的な関係性を持つ行動、例えばレイキヒーリングなどは相手を間違えないよう注意しなければならない。

ちなみに、霊界では絶対に出会うことの出来ない波長の異なるもの同士でも、関係性を持つことが出来るのがこの世の素晴らしい仕様である。不協和音のような居心地の悪さを体験したい魂もいる、ということなのだろう。それを学びと呼ぶ人もいるけれど、本当のところ、その意義について、ぼくはわからないし、出来ることなら、学びはともかく、居心地の悪い体験は避けたいところだ。


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