ひとりひとりの危機管理はとても大切だ

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Photo by taka (31MR)

関東地方は、先週に引き続き、再び、雪が積もった。かなりの降雪量である。ぼくの住んでいる辺りでは、昨日のお昼頃から雪が降り始め、一晩中、朝、雨に変わるまで、ずっと降り続いた。雨になったら、積もった雪は、あっと言う間に融けてしまうだろうと思ったけれど、道路などを除いて、今でも雪景色のままである。

先週に比べて湿った雪だったが、朝方から降った雨は、雪を重たい塊にしてしまった。思わず、ツイートしたけれど、自宅のマンションの屋根から落ちた重たい雪の塊は、落下とともに運動エネルギーを増幅させ、渡り廊下の強化プラスチック(だと思う)の屋根を簡単に突き破っていた。1か所だけではない。あちこち穴が開いていたようだ。バリバリに割れて開いた穴の様子を見ても、落下点に人がいたら間違いなく怪我をしていたであろう破壊力である。

また、駐車場の杉の木が折れて、ぼくの車の後ろに倒れていた。折れた枝の部分だけでも車よりも大きな木である。ぼくの車を傷付けることなく、横にそっと寄り添うように倒れていたので、巨大な杉の木は、気遣ってくれたのだ、と感じた。いつも風雨から守ってくれてるから。心の中で感謝である。

そして、なんと、ぼくの住んでいる富士見市の体育館の屋根が落ちてしまったということだ。写真で見る限り、屋根全部落ちている。34m×59mの屋根だそうである。それほど古い建物ではないのだが。ヘリコプターが撮影したと思われる航空写真を見ていると、津波で被害にあった建物を思い出してしまい、悲しさが増す。誰かいたら大変なことになっていたと思うけれど、誰もいなかったということだ。不幸中の幸い。たまたま朝早い時間のことだったようだから、誰もいなかったわけだけど、このような事態で停電や洪水等が発生し、避難所などに使われていたと思うとぞっとする。

昨日は、降り始める前から、警告が出ていたが、みんな会社を休むわけでもなく、いつも通り出勤したのだと思う。そして、早退の指示が出た企業は早めに帰れただろうけれど、そうでない会社は本当にいつも通り暗くなるまで働き、そのときは既に乱れたダイヤに直面した状態で、難儀して帰宅された方も少なくないと思う。

このような雪になっても夏タイヤのまま高速道路を走った人もいるようだ。あの酷い渋滞の原因のひとつになっていると思う。あの雪の中で動けないまま、体調を崩された方は多いのではないか。あまり報道はないけれど、ガス欠になって凍えている人はいなかったのか。雪道の立ち往生は、ガス欠等でヒーターも使えず凍死してしまったり、雪のために排気ガスが車内に入り込み中毒死してしまう危険性があるから怖い。

はっきり言って、雪道での夏タイヤ走行は自殺行為を通り越して、重大な犯罪である。ひとつ間違うと、人の命が失われる。これは高速道路だけでなく一般道も同様だ。ぼくはスタッドレスタイヤを装備しているけれど、なるべくなら、運転しないで済ませる。夏タイヤのまま、強引に運転している人がいるから、危険を感じて、走りたくないのだ。

夏タイヤのまま走ってしまう人は、車のスリップ事故(追突は勿論、立ち往生も含む)は、単に自滅するだけではなく、周りに多大な被害を与える可能性がある、ということをイメージ出来ない人なのだと思う。原発事故で想定外と言った学者と同じである。これは学校の成績の善し悪しとは全く関係ない。想像力があるかないか、だけの違いだ。何か人災が起きるたび、学校の成績なんかよりも、想像力の方がずっと大切だなあと思う。

東日本大震災のときも感じたけれど、たとえ国内で原発が爆発していても、とりあえずは出社しなければと思う人は多いのではないか。みんなが駅に向かっているから問答無用で自分も向かうしかない、と思っていないか。だとしたら、たかが雪などで休むなど発想は生まれて来ないかもしれない。これは国民性なのかもしれないが、はっきりとしたことはわからない。とにかく日本人は、命をかけても会社に行くのだ、ということがわかった。(ホントは命をかけてるわけではなく、想像出来てないだけなのだと思うが。)

ぼくは原発が爆発した日は休んだし、昨日のような雪の日は、出来るだけ早めに帰宅するけれど、それでも、原発とか雪とかあんまり頭になくて、仕事を優先させてしまう人も少なくない。そういう人たちが仕事場にいると、仕事目線で考えたら、原発も雪も休みの言い訳になってしまうので、本当にやりずらい。昨日も、もっと早く帰りたかったけれど、会議がだらだらと続き、内心、いらいらした。それは早く帰りたいからではなく、ひとりひとりの危機管理の意識のギャップを感じたからだ。これは東日本大震災のときに感じたのと同じ気持ちだ。ぼくは、ただ感じただけで済んだけれど、危機管理の甘さにつられて津波などで命を無くされた方は、少なくないと思う。

原発が爆発しても被害は及ばないということになっていたけれど、東日本は広い範囲で被曝したし、昨日もほとんどの交通機関が乱れ、運転を見合わせる鉄道が続出した。駅のタクシー乗り場は長蛇の列である。風邪をひいてしまった人もいるだろう。そうなってみなければわからないことだけれど、そうなる前に対処しなければ、手遅れになる場合もある、ということを感じて行動する方が増えてほしいなと思う。そして場合によっては、自分の判断が、自分以外にも影響を及ぼすことを忘れないでほしいと思う。判断の違いで多くの人命が救われたり、失われたりするかもしれないのだ。

これは原発の事故や自然災害の話だけでなく、政治や組織などの活動も同様だ。

例えば、今の政治の状況は、自民党が与党になる前からある程度予測出来ていたことである。今の状況が好ましいと思っている人は問題ないけれど、そうでないと感じている人たちで、言われるがままに組織票として票を投じたり、棄権してしまった人は、思わぬ未来に直面して、右往左往してしまうかもしれない。これは不幸なことだと思う。

ぼくらがまず認識しなければならないのは、ほんの10年前とは、地球の様子は変わってしまっている、ということだ。これは、自然環境もだし、人間社会について関しても、そうである。日本の社会もかなり変化した。

どう変わったかと言えば、はっきり言って、川の流れに例えれば、ゆるやかな流れから、激流に変化したと言ってもいい。それは、そのまま自然環境が教えてくれている。地震、火山の噴火、台風、極端な暑さや寒さ、そのすべて(人間社会の変化も含めて)、もう今までの地球ではないのだ、ということを教えてくれている。

それをそのまま理解して対処出来る人もいれば、いつまでも過去の記憶にすがり、変化を観ようとしない人もいるが、間違いなく、変化している。変化していることに気付いてない人は、ぜひぜひ気付いてほしい。

ぼくがどうこう言っても仕方ないのだけれど、変化に気付くことは、世界的な調和にとっても大切だ。ぜひ、今の時代の変化を感じてもらいたい。ひとりひとりの危機管理というか、自立した意識の持ち方がこれほど重要になっている時代は、今回の人間が地球上に出現して以来、今までなかったと言っても過言ではないと思う。激流の中で、自分がどう在るのか、みんなが意識して生きる時代に入ったと思うのだ。


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