猪瀬さんで、古畑任三郎を思い出す

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Photo by taka (7D)

今朝だったか、ふとテレビをみたとき、猪瀬さんが、どこかのおじさんに責めたてられていた。猪瀬さんが何をしたか知らないぼくのところまで、かなり狼狽した様子が伝わって来て、なんだかちょっとかわいそうになった。一体、どうしたというのだ?

今、ちらっとニュース記事を検索してみたら、なにやら、理由の付かないお金を受け取ったとかなんとか?ん?わいろ?服務違反?なんだ?

ぼくは、個人的に猪瀬さんがあまり好きではないし、オリンピック誘致も大反対だったから、猪瀬さんの肩を持つ気は全然ないし、猪瀬さんの行為が、もしも罪になるのなら潔く償ってもらうとして、ぼくが気になったのは別のところだ。

誰かは全然覚えていないけれど、猪瀬さんを責めたてていた中年男性は、なぜ、猪瀬さんの首根っこを掴んだような話し方をするのだろう?この人は猪瀬さんに何か個人的に酷いことをされたのだろうか?

この件に限らず、公の場での答弁なのに、まるで自分が酷い目にあったかのように感情丸出しで、相手を追求している場面に出くわすときがある。

あれは、いかがなもんだろう?

仮に相手が悪人だとしても、公での答弁は冷静沈着合理的に行われるべきだ。それをここぞとばかりにエラそうに(或いは感情的に)責めたてるのは無意味である。虐めでしかない。カッコ悪い。(でも多分、本人はカッコイイつもりなんだよね、きっと。)

そこで思い出すのは、古畑任三郎。

彼は決して、犯人に対して感情的になることはなかった。今泉のおでこを叩くことはあっても、常に紳士的に振舞っていた。あのキャラクターは特別だと思っていたけれど、本当は、こうあるべきだ、と今では思う。

ところが、猪瀬さんをいじめていたおじさんのように、自分が一番正しいと確信した上で、他人の失敗や未熟さを指摘し、ねちねちと心理的に追い詰めていくことに快感を覚えるタイプは、本当に困る。相手はどんどんエネルギーを奪われたようになって正気ではいられなくなる。スピリチュアル的には、コントロールドラマとも言うこのような状況は、決して正しい結果を導くことはない。

エネルギーの奪い合いをしているようでは、人の心を察するなどという余裕もないから、結局、あのようなイジメな行動に出てしまうのだろうな。

こういう人は、相手を責めれば責めるほど、自分が正しい人になったような気分になるので、やめられなくなるのである。

・・・と言うのも、実は、責めたてるなら、今は猪瀬さんじゃなくて、もっと違うだろう、というのが、本当は、今日一番言いたかったことかもしれない。


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