猪瀬さんで、古畑任三郎を思い出す
投稿:2013年12月10日
更新:2015年4月4日
Photo by taka (7D)
今朝だったか、ふとテレビをみたとき、猪瀬さんが、どこかのおじさんに責めたてられていた。猪瀬さんが何をしたか知らないぼくのところまで、かなり狼狽した様子が伝わって来て、なんだかちょっとかわいそうになった。一体、どうしたというのだ?
今、ちらっとニュース記事を検索してみたら、なにやら、理由の付かないお金を受け取ったとかなんとか?ん?わいろ?服務違反?なんだ?
ぼくは、個人的に猪瀬さんがあまり好きではないし、オリンピック誘致も大反対だったから、猪瀬さんの肩を持つ気は全然ないし、猪瀬さんの行為が、もしも罪になるのなら潔く償ってもらうとして、ぼくが気になったのは別のところだ。
誰かは全然覚えていないけれど、猪瀬さんを責めたてていた中年男性は、なぜ、猪瀬さんの首根っこを掴んだような話し方をするのだろう?この人は猪瀬さんに何か個人的に酷いことをされたのだろうか?
この件に限らず、公の場での答弁なのに、まるで自分が酷い目にあったかのように感情丸出しで、相手を追求している場面に出くわすときがある。
あれは、いかがなもんだろう?
仮に相手が悪人だとしても、公での答弁は冷静沈着合理的に行われるべきだ。それをここぞとばかりにエラそうに(或いは感情的に)責めたてるのは無意味である。虐めでしかない。カッコ悪い。(でも多分、本人はカッコイイつもりなんだよね、きっと。)
そこで思い出すのは、古畑任三郎。
彼は決して、犯人に対して感情的になることはなかった。今泉のおでこを叩くことはあっても、常に紳士的に振舞っていた。あのキャラクターは特別だと思っていたけれど、本当は、こうあるべきだ、と今では思う。
ところが、猪瀬さんをいじめていたおじさんのように、自分が一番正しいと確信した上で、他人の失敗や未熟さを指摘し、ねちねちと心理的に追い詰めていくことに快感を覚えるタイプは、本当に困る。相手はどんどんエネルギーを奪われたようになって正気ではいられなくなる。スピリチュアル的には、コントロールドラマとも言うこのような状況は、決して正しい結果を導くことはない。
エネルギーの奪い合いをしているようでは、人の心を察するなどという余裕もないから、結局、あのようなイジメな行動に出てしまうのだろうな。
こういう人は、相手を責めれば責めるほど、自分が正しい人になったような気分になるので、やめられなくなるのである。
・・・と言うのも、実は、責めたてるなら、今は猪瀬さんじゃなくて、もっと違うだろう、というのが、本当は、今日一番言いたかったことかもしれない。
人気ブログランキング ナチュラルライフ