ブルービーに会う

blue bee 160906

ブルービーわかるかな?

どこかに置き忘れて見失っていたワクワクシアワセ感が、今日思いがけなく、久しぶりにココロに戻ってきました。

この数か月、何を見ても何をやっても心の底から楽しむことができなくて、あぁこのまま一生こんなふうに淡々と暮らしてゆくのかなぁなんてぼんやり思っていたのだけれど。

この突然のワクワクシアワセ感は、復興がなかなか進まない南阿蘇村の、葉祥明阿蘇美術館でやってきました。その美術館のお庭で、噂でしか聞いたことのなかったブルービーに会うことができたのです。これまでとくに会いたいと思っていたわけでもなく、たまたま会うことができただけだというのに、いったいなんなのでしょう、このシアワセ感は。

そんな不思議なココロの動きを自分で面白がりながら、おうちに帰ってブルービーについて調べてみたら「幸せを呼ぶ青い蜂」「幸せを運ぶ蜂」などどありました。なるほどそういうこと!?

いえいえ、このシアワセ感はそればかりではないでしょう。大自然の気持ちよさ、絵本館のなかに溢れる葉祥明さんの平和を愛する気持ちや館長葉山さんの自然を愛する気持ち、そんないろいろな要素が全部まじりあって、知らず知らず頑なになっていたわたしのココロを癒してくれたのかもしれません。

今年は1匹しかブルービーがいないという話も聞きました。ちょっと心配しています。そして、美術館付近の道路は土砂崩れで寸断、アスファルトにも大きな亀裂が入ったまま。そう、そんな状況だけれども……今日いただいたシアワセを大事に大事に大きく膨らませて、少しずつ世の中を満たしていきたいと思ったりするのでした。

葉祥明美術館160906 南阿蘇村160906

 

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タティングレースで、こころのリハビリ

あれから5週間。余震の回数もかなり減って、気持ちはようやく日常に戻れたような気がしています。とはいえ、道を歩くと不自然な段差につまづきそうになるし、家に戻るたびにドア周りの亀裂を見せつけられるのだけれど、結局のところ、それも日常のひとつになってしまったってことなのかもしれません。

本震後10日程で電気、ガス、水道は整ったものの、しばらくは違う世界を生きているようで、心は落ち着かず、からだもだるく、家にいると何をする気持ちにもなれない日々が続きました。この状況をなんとかしたいと、大好きな(はずの)タティングレースを無理やり編み始め、ひとつ小作品が完成したとき、ようやく以前の自分に戻れたような気がしたのでした。

さて、今でも人が集まるとまだまだ話題はひとつ。それそれが自分の体験を語る。一時期、街じゅうにその話題しかないことをとてもしんどく思ったことがありましたが、今は、それはきっと大切なことなのだろうと考えるようになりました。会う人会う人に話をすることで、そして同じ恐怖を味わった者同士いたわり合うことで、少しずつ少しずつ固まった心を溶かしていく。

それにしても今回の地震体験で得た教訓は、「もう、なんでも起こりうる!」ってこと。だから、リアルすぎてどきどきしたものの、それでもどこか他人事のような気がして読んだ石黒耀さんの『死都日本』に描かれていたあの火山の大噴火も、もう私のなかでは充分にあり得る話になりました。ただ、本当に起こったら、わたしあっという間に消えちゃうんだよな。

タティング

 

 

 

 

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ひと月まえのお誕生日(熊本地震2日前)

ここ『地球LOVE』にずうずうしく間借りさせてもらっているのに、なかなか更新できずにいたので、「よし、お誕生日を機にまた少しずつ書き始めるかな」と思ったそのお誕生日から、ちょうどひと月経ってしまいました。実は、すでに文章を書いていたのですが、仕事が立て込んでいて2日間アップできずにいました。「さて、そろそろアップしなくては」と思っていたその日、大地が大きく大きく揺れました。
それから一か月。たいへん重たいひと月でした。わたし自身も、ハイ状態だったり、沈み込んでしまったり、元気だったり、疲れ果てて動けなかったり、まるで大地にできたうねりのような日々を過ごしました。そして、少しずつ少しずつ日常を取り戻しつつある自分がいる一方で、4月14日のままでいる自分もいます。思いを言葉に綴ることで、自分のなかでバランスがとれていけたらいいなと思っています。
今日は、そのひと月まえにアップするつもりだった文章を。

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お誕生日を機にまた、少しずつ、言葉を綴っていこうかと思っています。
自分の心に浮かぶあれこれを整理するために。
そしてわたしの想いが誰かにいつか届くように。

池田晶子さんが、その著書「暮らしの哲学」のなかで、「言葉」というものについて大変興味深く語っていらっしゃいます。そこはもう思いっきり哲学ですから、ここでわかりやすく要約するにはちょっとエネルギーが必要。だからそれは断念。だけれども、わたしのなかに残しておきたいので、いくつかの彼女の言葉をそのまま引用します。

「世界とは言葉であり、言葉こそが世界を創っている」

「言葉の不思議とは意味の不思議であり、意味とはそれ自体が始源の宇宙なのだ。神の言葉が混沌を秩序化し、世界は世界として成立しているのだ」

「言葉とは『意味』ではなくて『音』なのだ……『意味』より先に、『音』があるのだ」

 

読んでいるうちに、もっと言葉を大切に扱わなくてはという気持ちになります。だって、言葉が世界を創っているのですよ! もともと「言った言葉が真実になる」とか「言霊」とかそういう言葉は常に頭の片隅にはありましたが、これは片隅ではいけないぞと。

最後に「暮らしの哲学」よりもうひとつ引用。

「魔法のことば」

ずっと、ずっと大昔
人と動物がともにこの世に住んでいたとき
なりたいと思えば人が動物になれたし
動物が人にもなれた。
だから時には人だったり、
時には動物だったり、
互いに区別はなかったのだ。
そしてみんながおなじことばをしゃべっていた。
その時のことばは、みな魔法のことばで、
人の頭は、不思議な力をもっていた。
ぐうぜん口をついて出たことばが
不思議な結果を起こすことがあった。
ことばは急に生命(いのち)をもちだし
人が望んだことがほんとにおこった――
したいことを、ただ口に出して言えばよかった。
なぜそんなことができたのか
だれにも説明できなかった。
世界はただ、そういうふうになっていたのだ。
(イヌイットの伝説より)金関寿夫訳

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