ツインソウルとツインフレーム

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Photo by taka (31MR)

スピリチュアルな世界に足を踏み入れると、「ツインソウル」や「ツインフレーム」という言葉に出会う。或いは、その逆で、恋愛などで想いが溢れ彷徨い歩くうちに「ツインソウル」や「ツインフレーム」というロマンチックな言葉に出会い、そこで自分の運命に只ならぬものを感じて、スピリチュアルな世界に入って来る方も少なくないかも。

実は、これらの言葉、いろいろな解釈があるように思う。ネットでそれらの言葉と出合っても、ぼくの考える「ツインソウル」が「ツインフレーム」の説明になっていたり、その逆だったり。または、ぴんと来ない、異なる意味だったり。

それで、以前、これらの関係性を表す言葉について興味が出て、調べたこともある。だが、やはり、あちらこちらで書いてあることが異なり、混乱した。でも、なんのことはない、これは、それぞれの関係性について、何と呼ぶかだけの話である。そこで、今日は、「ツインソウル」や「ツインフレーム」について、ぼく自身の認識の整理も兼ねて、ここにまとめておこうと思う。

繰り返すけれど、これから書くのは、ぼくの認識だ。内容が正しいことを保障するわけではないし、そもそも定義付けの話なので、正しいも間違っているもない。なので、読まれている方の認識とは異なるかもしれないことを、最初にお断りしておく。クレームも受け付けない(笑)

「ツインソウル」や「ツインフレーム」のことだけを書くと世界観がわかりにくいと思うので、「ワンネス」という全体的な魂の構成から書いてみる。それでもスピに興味がない方にとっては、一体なんのことやら?かも。

【ワンネス】

これは大前提。宇宙には様々なものがバラバラに存在しているように見えるけど、実はひとつの無限の塊だ。その塊は何なの?と言えば、それは神である。この宇宙は、すなわち、神で出来ている。

ひとつなのに、バラバラに存在している、ということを理解するとき、ぼくは海と波の関係をイメージする。
神と魂(ぼくら)の関係は、例えるなら、海と波の関係、という風に。

海はひとつの塊だけれど、そこには、常にいろいろな波が起きている。波は、もともと海の一部だけれど、波として存在するときだけ、自分は、海ではなく波だと思っている。海の一部という認識がないから、他の波を見ると、自分とは別々の存在に思う。波は、隣に生まれた波でさえ、自分とは異なる存在だと思うのだ。しかし、波は波であることを終えると、海にかえっていく。そのとき、異なる存在だと思っていた他の波も、自分だったのだ、ということを思い出す。

このように、海は神で、波は魂(ぼくら)で、海と波は分離しているのではなく、個別化しているだけなのである。波が海から離れ、波だけで存在することが出来ないように、魂(ぼくら)も神から離れて、魂(ぼくら)だけで存在することは出来ない。言い換えれば、ぼくらは、常に神とともに在り、神のもとに帰る存在なのである。(帰ると言ってもその場から動くわけではなく、自分が神であったことを思い出すだけなんだけどね。)

ぼくらは、ワンネスの中の、さざ波のひとつのようなものである。

【グループソウル】

魂の集合体である。ぼくらはいろいろな経験をするために生まれてくるけれど、1人で経験することは出来ないので(相対性の世界なので必ず相手が必要)同じ目的をもつ魂たちでグループを作る。それをグループソウルと呼ぶ。

ただし、この説明は結果的な見方であり、実際には、最初に原初の頃の魂があり、その魂が沢山の魂に個別化してグループを作り、それからみんなで目的を決めながら、活動を始めるようなイメージがある。もしも、このような考えを前提にすると、グループソウルに属する魂は、魂の祖先が等しい、ということになる。更に、最初の魂を親として生まれたグループを子のグループソウルとすると、そこから更に孫のグループソウルが生まれて、更に更にのような何代にも渡る家系図のような階層があるのかもしれない。

【ソウルメイト】

グループソウルに属する魂たちの中でも、目的をともにして、何度も同じ時空(時代や場所)に転生を繰り返しながら、お互いのために役割を演じ合うような関係性を持つものをソウルメイトと言う。グループソウルが会社(学校)なら、ソウルメイトは部とか課(クラス)のような感じ。ソウルメイトに属する魂たちが、転生前に相談し合って、シナリオ作りに加わり、恋人や夫婦、兄弟、家族、親戚縁者、仲のいい友人たち、会社の同僚たちなどの役割を演じてくれていると思われる。

またぼくは、転生せずに霊界から魂のままの状態で応援している存在も、ソウルメイトの一員であると考えている。守護霊と呼ばれる目に見えない存在たちのことだ。

【ツインソウル】

もともとひとつの魂が、2つに別れて転生した双子の魂。魂の一卵性双生児。運命的な出会いをする、と言われることも。また、陰陽の関係になると、正反対の性格になるとも言われる。ツインソウルだからと言って、現世で結ばれるとは限らない。例え、結ばれても別れる場合もある。赤い糸で結ばれてるからといって、容赦ないのである。それは、転生の目的が、魂の修行であることを考えると当然である。ましてツインソウルほどの近しい関係性を持つならば、お互いの成長のため、激しい厳しさを伴った運命の選択をして来ることも十分考えられる。そんなわけで、ぼくら現世の意識が望む3次元的にハッピーな終わり方を、魂たちも同様に魂も望んでいるとは限らない。従って、成り立ちは、ロマンチックな関係性を持つけれど、転生後の関係性がロマンチックになるとは限らない。(但し、ドラマチックになる可能性は高い。)

【ツインフレーム】
ソウルメイトの中でも、とくに仲良しな関係。2つの炎が寄り添い合い、お互いを照らし合うような関係。ときには一つに合体して、一段と大きな炎になり、強力な光で周りを照らすような関係性を持つ。ツインソウルのように1対1の関係性だが、陰陽の関係ではないので、よき相棒や師弟関係、親友のような関係性になる。共に歩みながら同じ目的を目指してやり遂げる夫婦などもツインフレームの可能性が。性別の組み合わせはいろいろだが、必ず1対1の関係性だと考える。また、ツインソウルと同様、魂の修行が目的で転生しているので、お互いの役割が終われば、別れが来ることもある。

というような感じで、ぼくは言葉を認識している。(というか勝手に定義付けている。)

話は重複するけれど、どの関係性でも共通して言えることは、「魂の成長のため」に構築されているということ。決して、ロマンチックな関係のためにあるわけではない。転生する目的が「魂の成長のため」という観点から考えると、これは当然のことである。

さて、ここで、ぼくを取り巻く魂の関係性について、具体的な例にもなると思うので、ちょっと書いておきたい。但し、妄想のようなものなので、話半分でお聞きください(笑)

今のぼくの家族は、ほぼ間違いなく全員がソウルメイトだと思う。特に長女は、何度もぼくと同じ時代に転生しているような気がする。ぼくの娘であることが多いようだ。次女は、いつもは親戚の役などで、今回は新しいエッセンスを加えるため、ゲスト出演的な感じか。奥さんはどうだろう。母親になったり奥さんになったり、彼女になったりしてるのだろうか。でも、それはピンと来ない。ぼくと奥さんの関係は、出会ったときから、男と女の関係からかけ離れているので、兄弟のような関係が多かったかもしれない。

それから、ツインフレームだと感じる人も、今まで、何人かいるというか、いたというか。男性も女性もいる。ただ、これは、ぼくがそう思っているだけで、相手はそう思っていないかもしれない。ちなみに、ツインフレームだと思う根拠は、出会った瞬間に、出会う前から知っていた、または、特別な関係であるような気がした、もしくは、何の理由もないのに一緒に行動を共にすることがベストである、というようなことを当然のように心が認識している、と思えることで、実際に行動を始めると、それを示唆する出来事が連続して起こり始めたりする。まるで、特別であることを気付かせるために、偶然が重なる感じで。そんなときは、「まさかね?」が「やっぱり」に変わっていく。

そして、ツインソウルはどうだろう?今のところ、わからない。

もしも、ぼくの人生に既に登場しているとしたら、思い当たる人はいる。例えば、既に別れてしまった彼女だ。彼女がぼくに与えた影響は、いろいろな意味で大きかったから思い当たるのだが、もうひとつ、暗号的なメッセージがある。ぼくの誕生日は9/11で、彼女の誕生日は11/6。逆立ちすると同じ数字になるのである。これはまさに陰陽の関係ではないか。だが、この人とは、もう終わってしまった。彼女がツインソウルだったのだろうか。(いやいや、違うような気がする。)

それとも、まだ見ぬ人がツインソウルだったりするのだろうか。例えば、ネットで何年も前に知り合ったが、実際には逢っていない方がツインソウルだったり。いやいや、片割れは、守護霊さんだよ、だから会えないんだよ、とか、違う時空にいるから、今回の転生では、現れないよ、という声が聞こえたり。

ぼくがわからないのは、魂はみんなツインソウルの片割れなのか?ということだ。双子に分かれず、単独で生まれてくる魂もいるのではないのか。ぼくは、一時、ツインソウルというものに憧れていたこともあったけれど、今は、単独の魂でもいいや、と思っている。但し、もしも片割れがいるのなら、会ってみたいことも確かである。

しかし、こればっかりは探しに出掛けるわけにもいかない。方法がわからない。ツインソウルに出会うことを目的として転生して来たのなら別だが、ぼくの場合は、どうもそうではなさそうだから、片割れを探すよりも、日々精進に励む方が正解なのだろう。そして、ネイティブアメリカン風に考えたら、それにふさわしい時と場所が整えば、いつかは出会う日も来るのかもしれない。

以上が、ぼくの勝手に考えている「ツインソウル」と「ツインフレーム」の定義である。最後のぼくの妄想は忘れていいけれど、他の言葉の定義については、参考になればと思う。


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