恋愛するパワーがあれば大丈夫

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Photo by ham (X2)

過去に作ったホームページを発掘していたら、当時のぼく(17年前のぼく)が、なぜホームページに文章を書き始めたのか、はっきりと書いてあった。

ぼくは、そのことをすっかり忘れていて、もともと作家になろうと、こっそりと、物語やらエッセイもどきみたいなものを書いていたぐらいだから、きっと自然発生的に思い立って書き始めたのだ、と記憶していたんだけど、全然、違っていた。

自分のことなのに、しかも当時のぼくには、強い決意のような気持ちもあったはずなのに、そんなことは覚えていなかった。すっかり忘れてしまっていた。そのこと自体、少し、笑えるのだが、書き始めた理由については、全然笑えない。なぜなら、書き始めた理由というのは、ある女性への想いを綴るため、とはっきり書いてあったからだ。ある女性って言っても、まあ、昔の彼女なんだが。しかし、この部分を読んだとき、ぼくはひとり部屋で赤面してしまった。

ぼくと彼女の話は、またどこかでするとして、ぼくらしいなあと思ったのは、恋愛してしまうと、持てるだけのパワーすべてを好きになった人に向けてしまう、ということである。そう言えば、ぼくが作った歌も物語も、どれもこれも、だからに恋をしていたときに出来たものだった。恋をしていなければ、絶対に出来なかったものだ。大抵は片想いになるから、直接的に好きな人にパワーを向けられない分、音楽や文学に迂回してなんとか昇華(消化)させることになる。この時は、片想いではなかったのだけれど、ちょっと複雑な状況が、ブロックだらけの世界を構築してしまい、まっすぐと想いを届けられなかったのだ。

そう考えると恋愛のパワーってのはすごいもんだ。神さまは、これを意図して人間のひとつの性能にしたのだろうか。(きっとそうだよね。)これは、もちろん、ぼくに限らず、世の中の人たちのみんなにあてはまることなのだと思う。

だから、というわけではないけれど、いつでもどこでも恋はしていたい。恋は愛のレッスン。うんうん、そう、愛のレッスンだ。愛と言っても、もっとも神さまに近いところに位置する愛。無条件の愛。好きな人のためなら、なんでも出来る、って、無条件の愛の始まりだからね。好きな人なら、という条件が付いているから、条件付きの無条件の愛なんだけど。好きな人のため、ではなくて、誰のためにでも、なんでも出来る、となれば、本当の無条件の愛だ。


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