過去を振り返ってみると

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Photo by taka (ixy400)

このサイトの「BOOKS」のコーナーで「光の手」という本について執筆しようとして、自分がそれを最初に読んだ時代のことを思い返していたら、断片的なことはよく覚えているんだけど、時代背景的な部分に関して、なかなか思いだせず、気付いたら、結構な時間が経過してしまっていた。

「光の手」はご存じの方も多いと思う。バーバラ・アン・ブレナンさんという元NASAにもいらっしゃった女性科学者が執筆したヒーリングの本である。詳しいことは「BOOKS」のコーナーに書くつもりなのでそちらをご覧ください。

「光の手」について思い返してすぐに出てくる映像は、数年前、新橋に小さなソフトウェアのコンサルティング会社を興した頃のこと。夏の暑い日の朝、宅急便が届き、本を取り出したこと。「光の手」の上巻を持参して地下鉄の中で読みふけり、会社の近くまで行ったものの出勤はせずに、御成門の交差点のエクセルシオールでアイスコーヒーを飲みながらお昼になるまで仕事をさぼり、夢中になって読みふけったこと、等の記憶が出てくる。じゃあ、そういう記憶ならば、それはある年の夏の7月か8月に違いないということになり、Excelに年表もどきのようなものを作り、過去のブログや写真をみながら、あーでもない、こーでもないと、その年と出来事を埋めながら、推測してみた。だが、結論からいうとアマゾンの購入履歴が残っていたのでExcelも推測もまったく不要だった(笑)

そのアマゾンの購入履歴によるとズバリ、2007年5月であった。きっと夏の日のような青空が広がる暑い日だったのだろう。そして「光の手」の他「癒しの光」、その他、ヒーリングの本やシュタイナーの本もまとめ買いしていた。推測の中でわかったことだが、ぼくが「神との対話」シリーズを読んだのが2007年6月だったので、神との対話よりも少し前に光の手を読んでいたようだ。ぼくの記憶の中では、江原さんの本を読んだ後、神との対話シリーズを読み、それから光の手や、その他精神世界系の本を読み始めたとなっていたので、順番が逆転していたことは、ちょっと意外だった。しかし、記憶が整理された結果、いろんなことを思い出して来た。実際のところ、この2007年という年は、今思えば、もっともっといろいろやっていたのであり、ぼくにとっては人生の棚卸のような年だった。

例えば、ちょうど桜の咲く頃、人生で最初のスピ系セミナーに参加したのだった。(実は、今でも他のセミナーは参加したことがない。)「如月マヤ」さんという方のアカシックレコードのセミナーに参加している。と同時に如月マヤさんの著作を2冊読んだ。(いつかこれはBOOKSで紹介する。)

この頃の精神状態を、ぼくはさっき思いだした。当時のぼくは、相当、追い詰められていたのである。お金に困っていた、と書くと何だか安っぽい話になるけれど、経済状態が酷いことになっていた。仕事は忙しくバタバタと働いているのに売上が上がらず、収入も得られない。会社を興したときに約束されていたはずのいろんな条件はほとんどが消滅していた。実は、その当時、ぼくは、そこの会社の社長だった。但し、雇われ社長という表現の方が正しい。フリーランスで好き勝手に暮らしていたぼくだったけれど、ぼくの取引先で、ある事件が起こり、それから引き起こされたちょっと複雑な背景から出来上がった会社の社長を引き受けてしまったのだ。ぼくも少しだけど資本金も出した小さな会社だったのだけれど、見込みも甘く順調ではなかった。そんな背景から、少々不健全な事情を抱えていたから、結果的にはうまくいかなかった。そういう部分の葛藤もあったのかもしれない。

それに、お金がないのは、直接的には会社がうまくいっていないことが一番の原因だったけれど、もともとのぼく自身のライフスタイル的な問題が引き起こしていたのだと思う。ぼくが引き寄せたのだ。そうは思いたくなかったけれど、実際にそうだ。その証拠に、逆説的に考えれば、そんなぼくのライフスタイルを改善しようとして会社を興すことに協力したのも事実だったから。

そんな精神状態で過ごす中で、社会というか人生というか、まあ一言で言えば「現実」というものに行き詰まりを感じていたぼくは、精神世界に期待をかけたのである。それが如月マヤさんのセミナーだった。

人生ってこんなものなのか?
現実ってこんなものなのか?

ぼくもアカシックレコードを読むことが出来たら、自分の人生は変えられるのではないのか?
いやいや、それ以前に、アカシックレコードって本当にあるのか?

アカシックレコードは普通の人でも読めますよ、という如月マヤさんに会えば、すべては解決するように思えた。自分では読めないとしても、本当にアカシックレコードというものが存在するのなら、それを知るだけでも、世界が拡がるような気もしたのだ。いろんな可能性を見つけられる気がした。現実社会から、逃げたいと思っていたわけではないけれど、その時の現実が、ぼくの望んだ現実なのかどうなのか知りたかったのである。言い換えれば、今回の生が、このようなシナリオを描いて来たのなら、それならそれでなんとか生き延びるだけだが、もしも魂の目的を忘れて苦しんでいるだけなら、とんでもないことだ、早く思いださなければ(アカシックを読んで?)などと思っていたのである。

セミナーは、池袋の少し狭い会議室のようなところで行われた。会場に辿り着くまではとてもドキドキしたのを覚えている。そして会場についたら少人数ではあったけれど静かな熱気を感じた。何よりマヤさんがとてもかわいらしい素敵な女性であることに驚いた。アカシックレコードよりも、ホワイトボードにささっと書きながら説明するマヤさんの魅力的な様子に気を取られていたこともよく覚えている(笑)

そんな下心ではないけれど、人生を掛けてセミナーに参加した割には、ふにゃふにゃとしていたぼくとは反対に、ぼく以外の参加者は、明らかに能力的に開発が進んでいる方たちのように感じた。集団でアカシックレコードのリーディングの練習などをしたのだが、今思えば、マヤ先生は可愛いなあ等と思いながら、ただ目を瞑っていたぼくに、何か起こるはずはなかった。そもそも、2007年といえば、瞑想もしたことがなかったような気がする。しかし、ぼく以外の参加者は何かのイメージをビジョンとして受け取り、マヤさんに報告していた。

結果的に、ぼくには何も見えなかったし起こらなかったけれど、如月マヤさんという人に会えたことや、その他、スピに目覚めた人たちに接することが出来たのは、大きな収穫だった。あのときの体験が、がっかりしたものだったら、ぼくのスピも続いていなかったと思うけれど、何かに確信を持てたからこそ、その後のぼくの活動があるのだし。

それに、何も起こらなかったと書いたけれど、実際のところ、そのセミナーの後、ぼくは、本格的にスピリチュアルの世界に接していく。セミナーに参加したから、というよりは、2007年はそういう年だったのだろうと思う。如月マヤさんは、次の扉を開けてくれたガイドさんだったのかも。そして、江原さんの本を何冊か読んだだけで満足していたぼくが、扉が開いた途端、次のステージで満を持したように意識の拡がりを感じ様々な文献に接して急激に気付きの度合いを増していく。気付きと同時に実生活で生じていた大きな歪を解消していく。それが2007年のぼくに起きたことだった。

そんなわけで、アカシックレコードのセミナーで始まったこの2007年は、文献的には「光の手」や「神との対話」との出会い、ネット上では沢山のアセンションを論じる仲間たちとの出会い、社会的にも、ちょっとここでは書けないけれど、個人的にも法人的にも大きな問題について整理出来て、大変に有意義な年だったのである。実際のところ、2007年以前のぼくと以降のぼくは大きく変化している。

ブログに書くようなことではなかったかもしれないけれど、過去のことをいろいろと思いだしたので書いてみた。とくに、ぼくとしてのスピリチュアルな歩みなのだから、記録しておいてもいいかなと思った。

ちなみに、冒頭に載せた写真は、新橋の会社を興すきっかけになった取引先で仕事をしていた頃の写真。だから多分、2006年頃に撮影したもの。青山なんだけど、神宮球場とかみえたり銀杏並木が近かったりと、てとても素敵な場所だった。なんだか昨日のような気もするし、本当に遠い昔のことのような気もする。

過去というのはそういうものだ。
そして、未来もね。


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