お盆

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Photo by taka(7D)

午後の暑い時間、家の近所をふらふらと歩いていたら
提灯を持った人を先頭に、列になって歩いている人たちとすれ違った。

きっと、お盆のなにかなのだろう。
あまり見かけない光景だったから、
初盆など、特別なときの風習なのかもしれない。

お盆モードの人たちと
日常モードのぼくがすれ違った瞬間
そこにちょっとした記憶が蘇った。

ぼくにとって
子どものころのお盆の思い出は
忘れられない記憶のひとつ。

毎年、決まっていることのように
盛岡の父の実家に一泊した後
一戸の母の実家に二泊。

同じ年頃のいとこたち、
少し年上のおじさん、おばさんたち
それから
大人のおじさん、おばさんたち
じいちゃん、ばあちゃん。

とてもにぎやかだった。

スイカやトウモロコシ食べたり
花火したり、トランプしたり。

ごちゃごちゃしてたけど
あれはあれで楽しかった。

大人たちは大変だったと思うけど
(付き合いとか、いろいろ)
当時のぼくには
そんなところまで気もまわらず。

そんな楽しい夏の思い出も
大学で上京してからは
行かなくなってしまった。

もう、あの頃の思い出を再現したくても
父の実家は、無くなってしまったし
母の実家には、もう誰も住んでいないという。

先日、GoogleMapで
父と母の実家をそれぞれ訪ねてみた。

どちらの実家も、家が建て替えられて
当時の面影はまったくなかったけれど
橋や道路は、なんとなく、思い出せた。

でも、もう、あの頃のみんなが
集まるということは、絶対にありえないのだ。

今、ぼくがこの時期に自分の実家に帰っても
おふくろがぽつんといるだけで
運が良ければ、帰省した妹もいたりするぐらいで
なんだか、ほとんど何もしない
とても静かなお盆を過ごすことになる。

ずっとむかしから
同じ場所に住み続けている人たちは
ずっと同じようなお盆を過ごしていて
お盆の時期は、にぎやかになり
それが当たり前になっているかも。

しかし、ぼくのお盆は、
廃れてしまった商店街のように
とてもさみしいものになってしまった。

普段、さみしいと感じることはあまりないし
感じたとしても、ぜんぜん、問題ないけれど
追憶の中で楽しい思い出が残っているときに限り
今の静けさをさみしさとして認めてしまったりする。

そんなとき
なぜ、東京に出て来て
こんな生活をしているんだろうと
まったく意味のないことを
考えてしまったりする。

この人生しか
あり得なかったことは
わかってるつもりでも。


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