秋の夜長に宇宙を考える

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Photo by taka (7D)

今日は、久しぶりに珈琲豆を焙煎した。
豆は、ブラジルのハニーショコラ。
ほぼ2年ぶりの手網焙煎である。

2年もやってないと
さすがに火力の加減を忘れてしまっていて
ちょっと強めに煎ってしまった。

結果として、煎るべき時間が短くなってしまい
コクの出ない味になってしまった。

でも、まあ、言い方を変えれば、軽やかで
豆の新鮮さも手伝って
それなりに美味しいと思える味になった。

秋の夜長に、ゆったりとくつろいだ気持ちで
珈琲などを用意して過ごすのは
とてもぜいたくな気分になる。

とっても安上がりなぜいたくだ ^_^

この連休中も、そんなくつろいだ気分で
宇宙の仕組みや、宇宙と人類の関係について、
ぼんやりと考えていた。

宇宙の歴史に比べたら
地球人が物心ついたように進化したのは
ほんの短い、一瞬のような時間である。

例えば、紀元前というと、かなり古く感じるが
どってことない、たった2000年前のことだ。
ぼくら人類の歴史なんて、ほんのちょっぴりなのである。

そう考えたとき、なんとなく違和感を感じる。
その歴史の流れそのものが、不自然だと思ってしまう。

地球上に現れて、それなりに進化を遂げた人類って、
ほんとに、ぼくらだけなのかな?

地球が出来てから、何十億年もの
気が遠くなるような長い長い時間が過ぎた。

そんな永遠とも言えるような時間があれば
何が起きても不思議じゃない。

実は、人類は、ぼくらの時代だけじゃなく
何度も何度も誕生と絶滅を繰り返しているのではないか。
そう考える方が自然なのではないか。

大抵の人は、人類が絶滅するなんて、
あるわけないと思って、日々を暮らしていると思う。

でも、ある日、突然、
その日がやってくるかもしれないのだ。

それは、隕石の衝突かもしれないし、
太陽活動の結果かもしれない。

人類の誰かが、致命的な何かを
やらかしたことが原因かもしれない。

そう考えると
こうして生き続けていることは
奇跡のようなものだし
いきなり絶滅したとしても
自然の流れのような気持ちになる。

そして絶滅したとしても
地球が生存可能な星であり続ける限り
次の人類は必ず現れるのだろう。

そして、ぼくらとおなじように
自分たちが、地球で唯一の知的生命体であるかのように
我が物顔で、繁殖していくのだろうか。


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