地震と気付き

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Photo by taka (7D)

昨夜の長野県北部で起きた地震は、久し振りに携帯の緊急地震速報が発動したこともあり、土曜の夜をだらだらと自宅で過ごしていたぼくは、一瞬で緊張モードに入った。緊急地震速報から、揺れが始まるまでの、短い時間、給湯器の電源をオフにしたり、食器戸棚の戸をロックしたり、猫を抱いたり、バタバタとしたが、ぼくの住んでいる埼玉では、小さい揺れで済んだ。

しかし、震源に近い白馬のあたりでは、建物が倒壊し、怪我をされた方も多くいらっしゃるようだ。亡くなられた方や行方不明になってしまった方はいらっしゃらなかったということで幸いである。テレビで観ただけなので、想像でしかないけれど、夜遅い時間に、あれだけの物理的な被害が出ていて、死者がなしということは、迅速で適切な救助がされたのではないかと思う。素晴らしいことだ。

あの辺りは、一度だけ、車で通ったことがある。

松本から糸魚川まで、国道148号線で北上したのだ。途中、白馬も通った。あのときは、夜になってから松本を出発したのだが、白馬を通ったのは、ちょうど地震が起こった夜の10時頃だったように思う。

あのときの記憶は、妙に心に焼き付いている。山の中を縫うように通る国道を走り切り、日本海にぶつかるまでの道のりは、ぼくが今まで経験したことがないものだった。

山道が珍しかったのではない。ぼくは岩手出身だから、山道は珍しいものではない。何が違うのだろう?でも雰囲気は全然違っていた。山と道路の関係性みたいなものが根本的に異なっているように思えた。そして、それはある意味、とても楽しい体験でもあった。

そのような記憶が残っているので、昨夜は、震源が発表されたとき、すぐに風景が浮かんで来た。そして、どうか被害が最小限で済みますように、と願った。ただ、土砂崩れのような被害は避けられないだろうな、とも思った。

当時、松本から糸魚川に抜けたところで車中一泊し、その後、日本海を観ながら新潟を目指して走った。途中、東京電力の柏崎刈羽原発の横を走るとき、ドキドキしたことを覚えている。

新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発で火災が発生する前のことであるが、ぼくはチェルノブイリよりも前から原発が人の手に負えないものだと思っていたので、原発のそばを運転している、と思っただけで、身体が反応してしまったのだと思う。

また、別なとき、岩手の実家から、三陸沿岸を南下して、気仙沼や仙台、それから福島県のいわきなど、ほぼ海沿いの道を使って自宅まで運転したことがある。東日本大震災が起こる前年のときのことだ。このときは、福島第一原発の横を通ったのだが、同様に、とてもドキドキしたことが忘れられない。

もしも、ぼくが白馬を運転していたときに、昨夜の地震が起きていたら?
もしも、ぼくが柏崎刈羽原発のそばを運転していたときに、新潟県中越沖地震が起きていたら?
もしも、ぼくが福島第一原発のそばを運転していたときに、東日本大震災が起きていたら?

ぼくには、何かの出来事が起きる前に、それとはまったく関係ないことで、呼ばれるように、その土地を訪れていたりすることがある。その結果、実際に出来事が起きたときには、すでにそこで必要になる情報を得ていたりする。

もちろん、これは偶然かもしれない。そして、或いは、みなさんにも思い当たるような経験があると思う。

実は、今、住んでいるところや、仕事場になっているところも、住む前や仕事する前、まったく別なことで、なんとなく呼ばれるような形で接点があった。それ自体は、ただそれだけの話なんだけど、そういうことがある、ということだけで、目には見えない存在の護りのようなものを感じることが出来る。

地震活動や火山活動が活発になってきている。
他の自然現象も極端な形で発生しているものもあるようだ。

何もかもが、メッセージである、という真理をあてはめて考えると、これらの現象も、ぼくらに対するメッセージであるということになる。

そして、これらの現象が、何のメッセージかと言えば、それは「依存」をせず「自立」せよ、ということ、或いは、それらのことについての気付き、なのではないのか、と思っている。


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