アンドロメダからシリウス経由で

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Photo by taka (7D)

ぼくは、ぼーっとしているような、ほとんど無意識な状態のとき、ふと、巨大な宇宙船の中にある薄暗いラウンジの大きな窓の前に立ち、1人で外を眺めている情景が、浮かんだりする。そして、そのとき情景の向こうから伝わって来る、その場の空気の質感や匂い、それから、そこにいるぼくの感情は、いつも同じであることに気付く。

この記憶が、ぼくの中で創られたものなのか、過去世(未来世)やパラレルワールドにいる別の自分の記憶なのかはわからない。わからないけれど、ひとつだけ、手がかりのようなものはある。それは、初めてその情景が呼び出されたのは、ある曲を聴いたときなのである。そのある曲とは、Twilightという曲(Llewellyn)である。

スピリチュアル覚えたての頃のぼくは、そのとき、ネット上で、瞑想用の音楽を探していた。そして、あるサイトで紹介されていたアルバムの「レイキのために最適です。」というコメントを見つけて、レイキで使えるならば、瞑想でも使えるだろう、という安直な結論を得て、すぐに取り寄せた。取り寄せて、初めて聴いたとき、その宇宙船のラウンジの情景が現れたのである。

だから、もしかすると、その曲をトリガーにして記憶が蘇るように、別な次元にいるぼくやぼくの仲間が仕組んだもの、なのかもしれない。ぼくは何かの理由で地球に来ており、そのことを忘れないように、この記憶を思い出すように、ぼくは計画通り、曲を注文し、仕組まれた通り、記憶を呼び寄せたのだ。

だが、それは話がうますぎるし、探せばいくらでもアヤシイ部分はある。例えば、思い浮かべるラウンジの風景は、スタートレックの中のラウンジによく似ているのだ。(新スタートレック、ピカード艦長のときのエンタープライズ号)

ぼくが、宇宙旅行について勝手な想像をするとしたら、もっとも思い浮かべやすいのはスタートレックの中の場面であると思うから、この情景はぼくの想像上のものなのかも、とも思う。

ただ、どっちにしろ、この情景は、初めて思い浮かべた日から、数え切れないぐらいの回数、ぼくの脳裏に浮かび、ある種の郷愁のような気持ちを呼び起こしている。忘れようもないぐらい、極端に言えば、実家にあるリビングを思い出すのと同じぐらいの鮮明さで、ぼくはラウンジの様子に浸ることが出来る。それは、それだけですでに意味を持っているような気もする。

あるときから、ずっと仲良くして頂いている方から、ぼくが、アンドロメダの出身ではないか、と言われた。最近のことである。言われてみれば、そんな気もする。それから、スピリチュアルに興味を持ってから、シリウス系と言われる書物を好むところから、過去には、シリウスにもいたような気がする。

これらの話を、乱暴に組み合わせてしまえば、遠い昔、ぼくはアンドロメダのどこかの星にいたが、何かの事情で銀河系のシリウス星系にやって来たのだ。そこで何かを経験した後、この地球に降り立った。もちろん、何かを成すために。

それから、仮に、この推理というか妄想が真実だとしたら、今、まわりにいてくれる(或いは、過去にいてくれた)、ぼくの大切な人たちとぼくの関係性はどうなのかも、大変気になるところだ。一緒にアンドロメダから来たのかもしれないし、シリウスや他の星で出会ったのかもしれない。もっとも、すべてはひとつと考えたら、どこで会おうが、出会ったことの重要さに変わりはないが。

仕事を終え、夜、帰宅の途にあるとき、自宅に向かう最後の角を曲がると、そこからは、一直線にぼくの住まいであるおんぼろマンションが見える。マンションの周りに高い建物はないから、天気が良ければ、ぼくの家が、星々に囲まれている様子がよくわかる。田舎に住んでいると、不便なこともあるけれど、例えば、空や、空に浮かぶ星たちは、全部自分のものと思えたり出来るのだ。

そんなことを想いながら、天を見上げたとき、どこかにぼくの故郷の星があって、こっちを見ているのだ、と感じたりする。さらに、もしかすると、今日あたり、迎えに来ているかも知れないぞ、などと思ったりもする。早く迎えに来てくれ、と願ったりもする。

宇宙船のラウンジの情景を思い浮かべたり、遠い星に願いを送ったりするのは、現実逃避なのだろうか。それとも、自分の使命を思い出し始めているのだろうか。最近は、このことを本気で考えていたりする。実は、両方である、というのが正解のような気がするけれど。

どちらにしろ、地球の一般的な人たちから見たら、このぼくは、あまり正常な状態ではない、とか、頭おかしい、と思われるかもしれない。前から変だなと思っていたけれど、とうとう今日、本性を掴んだぞ、と思ってるかもしれない(笑)


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