短編小説のような恋をしよう

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Photo by taka (7D)

GWの連休は、ほとんど風邪で寝ていた。内心、小旅行ぐらいなら出来そうだ、岩手、宮城、福島あたりをまわってこよう、などと考えていたので、なんだか残念であった。しかも、まだ、完全に治っていないようで、ちょっと身体を使うと、すぐに重たさを感じる。そのせいか、寝ていると、とても楽である。このまま、ずっと寝ていたいなと思う。最近、ブログの更新が途絶えていたのはそのせいでもある。

それでもだいぶ調子が戻って来たかな、と思ったら、今度は、老眼が進んでいることに気付いた。パスタの乾麺の袋の裏に書いてある茹で時間がぼやけて読めなかったのである。仕方がないのでコンタクトレンズの度を一段変えた。(こんなこともあろうかと、少しだが、違う度数の買い置きがある。)

というところまで先週書いて、そのまま下書きフォルダにほってあった。何をするにも面倒で気力が湧いて来ないのであった。それでも、今週はちょっと元気になりつつあり、こうして続きを書いているわけである。

続きと言っても、ただの書きなぐりみたいなもので、読んでくださる方々にはなんだか申し訳ないのである。もっとスピならスピに特化するとか、日記なら日記でネタを厳選するとか、考えるとよろしい、と自分でも思うのだけれど。そして、そんなことを考えていると、ますます何を書いていいのかわからなくなり、これまた更新が途絶える原因になってしまうのだった。

今朝、ちょっとつぶやいたんだけど、今ぐらいの季節、初夏と梅雨が混ざったような気候のとき、ぼくは短編小説のような恋がしたくなる。理由はわからないのだけれど、きっと、ぼくの歴史を振り返ると、初夏の頃は、恋をしている頻度が多かったのかもしれない。

短編小説のような恋だから、例えば、その気になればランチタイムに読んでしまえるような長さのストーリーがいい。実際にストーリーとして描写をしたとき、登場人物は、ぼくとぼくが好きになる女性の2人だけ、もしくは、あと1人か2人、何らかの役割を持つ人物が登場するぐらい。そして、全体として、何かの出来事を中心にして、恋か恋じゃないのかわからないぐらいの状態で話は進んでいくが、読み終わった後に、実はとても深い感情がそこにはあった、みたいな物語になるといい。気付くと物足りなさが湧いて来て、続きが、読みたくなるような出来栄えだともっとよい。でも、続きはないのだ。それでいいのだ。

物語全体を通して、そこに、一貫して流れるメロディと雨の匂いが浮かんでくるような質感もあるといい。そんな中で、ぼくは、ぼくの好きになる女性と、ランチタイム一回分の恋をするわけだ。

ところで、もしも、ぼくが作家で恋愛小説を書くとしたら、キスの場面ぐらいは描写するかもしれないけれど、性行為については書かないかもしれない。ぼくが性行為を描写し始めたら、恋愛小説ではなく、きっと、出来の悪い官能小説になってしまうと思う(笑)

恋した相手と初めての性行為をする、ということは2人にとって、重要なポイントになる可能性が高い。行為の後に何らかの理由で2人のバランスが変化しやすいと思うからだ。

結びつきが強まるかもしれないし、さめてしまうかもしれない。もちろん、性行為をしても変化のないカップルもいるだろうけど。

ぼくの中にある、かなり個人的な見解ではあるが、一般的に、最初の性行為をした時点で、それまでそこにあった恋は、終わってしまうような気がする。終わるというか蒸発してしまう、というか。最初の性行為の後は、そこにあった恋ではない新しい何かが、2人を結び付けることをしない限り、2人の関係は消滅に向かうのではないか、と思ったりもする。恋ではない何か、というものが何であるかは、それぞれのカップルによって異なる。ただ、その何かの中で、ぼくが考え得る一番好ましい何かは、そこにあった恋が終わった後、新たな恋が生まれ、再度、2人を結び付ける、というものだと思っている。もちろん、新たに生まれた恋は、それまでそこにあった恋とは異質のものである。

恋ではない何かをいくつかピックアップして、それぞれの何かをそれぞれのカップルに演じさせた物語を短編小説として書きあげたら、文庫本一冊ぐらいの分量は書けそうな気がして来た。もちろん、面白いかどうかはわからないけれど。


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